2009年6月、競馬で2000万ポンド以上儲けたエリオット・ショートという元金融トレーダーの話が、あるイギリスの新聞に載った。彼は運転手付きのメルセデスに乗り、ロンドンの高級商業地域ナイツブリッジにオフィスを構え、首都の一流クラブで派手に散財していた。記事によれは、ショートの必勝法は単純で、常に人気馬の負けに賭けるというものだそうだ。一番人気の馬がいつも勝つとはかぎらないから、この手を使えば大儲けすることはありえた。ショートはこの作戦のおかけで、チェルトナム・フェスティバルで150万ポンド、ロイヤルアスコットで300万ポンドという具合に、イギリスでもとくに名の知れたレースで莫大な利益をあげてきた。ただし、そこには一つだけ問題があった。これが話の完全な真相ではなかったのだ。
チェルトナム・フェスティバルやアスコットで大穴を当てたという言葉とは裏腹に、ショートはまったく馬券を買っていなかった。彼はうまいことを言って人々に何十万ポンドものお金を自分のべッティングシステム(賭けのシステム)に出させておいて、その大半をバカンスや夜遊びに使ってしまった。やがて出資者の間から不審の声が上がり、ショートは逮捕された。そして2013年4月に起訴され、9件の詐欺で有罪となり、5年の懲役刑を言い渡された。
まんまと騙された人が大勢いたのは意外に思えるかもしれない。たが、完全無欠のべッティングシステムという発想にはどこか心引かれるものがある。ギャンブルで儲けたという話は、カジノやブックメーカー(胴元)には勝てないという常識に反する。そういう話を
聞くと、運任せのゲームには「隙」があり、抜け目ない人なら誰でもその隙を衝けるような気がしてくる。ランダム性もうまく手なずけ、運も数式で意のままにできるのではないか?これはなんとも魅力的な考え方なので、多くのゲームは誕生以来ずっと、それで勝
つ方法を見つけようとする人が後を絶たない。もっとも、完全無欠の賭け方を追求する試みに影響されてきたのはギャンブラーばかりではない。賭け事ははるか昔から、運というものの理解の仕方を根底から変えてきたのだ。
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