ポアンカレの言う「三次の無知」とは何か

ルーレットのランダム性にはニ通りの対処の仕方があり、アンリ・ポアンカレはその両方に興味を持っていた。彼の興味は多岐に及び、ランダム性もその一つだった。20世紀初期には、数学にかかわるもののほぼすべてが、何らかの時点でポアンカレに注意を向けてもらったおかけで恩恵を受けている。彼は最後の正真正銘の「万能の人」だった。その後、彼のように数学の端々にまで目を通し、きわめて重大なつながりを目敏く見つけることができた数学者は一人もいない。

ポアンカレの見るところ、ルーレットのボールの止まり方のような事象がランダムに思えるのは、何がその事象を起こしているかを私たちが知らないからだった。物体の正確な位置や速度といった初期状態と、その物体が従う物理法則を知っていれば、私たちは問題に関する自分の無知のレベルに基づいてその問題を分類できると主張したのだ。

初期の頃は、教科書に出てくるような物理の問題を相手にしていることになる。ポアンカレはこれを「一次の無知」と呼んだ。必要な情報はすべて揃っているので、単純な計算をいくつかするだけでいい。「ニ次の無知」とは、物理の法則は知っているものの、物体の正確な初期状態がわからなかったり、正確に測定できなかったりする場合を言う。

この場合、測定の精度を上げるか、物体に何が起こるかという予測をごく近い将来だけに限定するかしなけれはならない。最後が、最もはなはだしい「三次の無知」だ。これは、物体の初期状態も物理法則もわからないときのことを言う。法則があまりに込み入っているために完全には解き明かせないときにも、私たちは三次の無知に陥る。

たとえば、ペンキの入った缶をプールに落としたとしよう。泳いでいる人々の反応を予想するのは簡単かもしれないが、個々のペンキの分子と水の分子の振る舞いを予測するのははるかに難しい。とはいえ、別の取り組み方もありうる。分子同士の相互作用の詳細を厳密に調べたりせず、ぶつかり合った結果どうなるかを理解することを目指すという手もあるのだ。すべての粒子を一まとめに眺めれは、粒子がしだいに混ざり合い、ある程度の時間がたつと、ペンキはプール全体に均等に広がるのが見られる。私たちはたとえ原因について何も知らなくても (どのみち、その原因は複雑過ぎて理解できない)、最終的な結果については述べることができる。

それはルーレットにも当てはまる。ボールの軌道はさまざまな要因に左右されるが、そうした要因はスピンしているホイール(回転盤)を一目見たぐらいではつかめないだろう。個々の水分子の場合とちょうど同じで、ボールの軌道の背後にある複雑な原因の数々を理解していなければ、一回一回のスピンについては予測することはできない。だがポアンカレが主張したように、私たちはボールが止まる場所を決めている原因を必ずしも知る必要はない。そのかわりに、膨大な数のスピンを眺め、どういう結果になるかを見るだけでいいのだ。

それこそまさに、アルバート・ヒッブズとロイ・ウォルフォードが1947年にやったことだ。当時ヒッブズは数学の学位を取得するために勉強しており、友人のウォルフォードは医学生だった。このニ人組はシカゴ大学での勉強の息抜きに、有名なギャンブルの町リノに行き、ルーレットのホイールは本当にカシノが考えているほどランダムなのか調べることにした。

たいていのホイールは元々のフランスのデサインを受け継いでおり、1から36までの数字が振られたポケット(ボールが落ちる場所)が赤・黒交互に並び、さらに、緑色に塗られた0と8のポケットが加わり、合計38のポケットがついている。じつは、この0と8のおかけでカジノが有利になる。もし私たちが1からまでのうちから好きな数字を一つ選んで毎回1ドル賭けると、平均で三八回に一回勝つことが見込まれ、そのときにはカジノが36ドル支払う。

したがって私たちは、38回のスピンの間に38ドル賭けるものの、平均で36ドルしか稼げない。つまり38回のスピンで2ドル、あるいはスピン1回につき約5セントの損失という計算になる。カジノの優位は、ホイールのどの数も出る可能性が同じであることにかかっている。とはいえ、どんな器具でもそうなのだが、ホイールも欠陥を抱えているかもしれないし、使っているうちに少しずつ傷んでくることもある。

ヒッブズとウォルフォードはそういうホイールを探した。その手のホイールでは、数が均等に出ないかもしれないからだ。ある数が他の数よりも頻繁に出るのなら、そこにつけ込める。ニ人はさまざまなテーブルで何度となくスピンを眺め、異常を見つけようとした。そこで疑問が生じる。「異常」とは具体的には何を意味するのか?

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